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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)959号 判決

原告 比留間国雄 外一名

被告 国

訴訟代理人 星 智孝 外二名

主文

被告は、原告比留間国雄に対し金二十四万七千七百九十円、同比留間久子に対し金二十万円、および各これに対する昭和三一年三月四日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告等の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告比留間国雄が金六万円、同比留間久子が金五万円の各担保を供するときは、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告は、原告比留間国雄に対し金六十万八千六十三円、同比留周久子に対し金五十五万六千二百七十三円、および各これに対する昭和三一年三月四日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

比留間治雄(以下治雄と略称する。)は、昭和二七年一一月一五日に原告等夫婦の間に生れた二男であつたが、昭和三一年一月二〇日午後四時五〇分頃、東京都江東区深川永代二丁目三八番地先道路上で、深川郵便局員沖迫照幸が郵便配達のため乗車運転する軽自動車(ラビット・スクーター。以下本件スクーターと略称する。)に衝突され、左側頭蓋骨々折の傷害を受け、これが直接の原因となつて同月二三日午前〇時二五分心臓麻痺のため死亡した。右衝突の原因は、全く沖迫の運転上の過失にもとずくものである。

すなわち、沖迫は、事故当日同時刻頃本件スクーターを運転し同区深川永代二丁目三〇番地と同所四〇番地との間にある巾八米の道路のほゞ中央を時速四〇粁位の速度で東進し、右道路と、同所四〇番地と三八番地との間にある巾六米の道路とが交る交叉点の手前にさしかかつたのであるが、当時右交叉点附近からその西方三軒目にあるそろばん塾の前あたりにかけて、授業を終えた塾生二、三〇名が群集していたのに、これを避けようともせず、警笛もならさないでそのままの速度で進行し、その時前方八・三五米のあたりに、右六米道路のほゞ中央を南から北へ向つて歩き交叉点にさしかかつた治雄の姿を認めた。このような際には、スクーターを運転する者は、一時停止をするか、少くとも警笛をならし、除行、あるいは適当に方向転換をして安全に通り抜けるよう注意する義務があるのにかかわらず沖迫はこれを怠り、そのまま制限速度を超えた時速四〇粁位の速度で警笛をならさず同一方向に進んだため、右交叉点のほぼ中央にある下水マンホールの東端に近いところで、スクーターの車体の左側を治雄の左耳上の頭部に激突させてしまつたものである。なお本件スクーターのブレーキは、ハンドル支柱に極端に接近しているため、運転者が普通の状態で踏もうとすると右足の先がハンドル支柱に当つて制動がかからず、全く用をなさないもので、このようなスクーターは運転すべきでなく、このことを知りながら本件スクーターを運転したことも又、沖迫の過失といわなければならない。

このように、本件事故は、被告の被傭者である沖迫が被告の事業執行中である郵便配達業務に従事しているときに、その過失によつて生じたものであるから、被告は、治雄の死亡によつて生じた後記の損害を賠償すべきである。

なお、仮に本件事故が沖迫の過失によるものでなかつたとしても、沖迫の上司である深川郵便局長古賀広人が、本件スクーターのブレーキが右のように不完全であることを知つていたのになおかつ沖迫に運転することを許していた結果生じたものであつて、これは被告の被傭者である同局長が、被告の事業執行につき注意を怠つたため生じたものと言うべきであるから、被告は右同様損害の賠償をしなければならない。

そこで、一、治雄は本件事故による死亡当時三才二月の男子であつたから、その余命は昭和二九年七月厚生省発表の第九回生命表によると六一・一七年である。そして、もし本件事故がなかつたならば、治雄は成年に達してから六一・一七才まで平均して毎年金六万円の純収入があることは明白であつて、同人は右事故のためこの収益を失い、同額の損害を受けたわけである。したがつて、この損害額を今日一時に請求するとすれば、その金額は、収入を得られる筈である最初の年の金六万円から、死亡時より二〇才までの一七年間の中間利息をホフマン式計算法により控除した金三万二千四百三十二円をもととして、二〇才から六一・一七才に至る四一年間に得られたはずの純収入総額から中間利息をホフマン式計算法によつて控除算出した金七十一万二千五百四十六円ということになる。原告両名は治雄の死亡によりその相続入として同人の被告に対する右損害賠償債権を平等に相続したから、被告は原告両名に対し、各その半額の金三十五万六千二百七十三円を支払う義務がある。二、次に原告両名は、治雄の父母として、同人の死亡により甚しい精神上の苦痛を受けた。したがつて、被告は原告両名に対し慰藉料を支払う義務があるが、その額は諸般の事情を考慮して原告両名に各金二十万円が相当である。三、更に原告比留間国雄は、(一)、本件事故直後、治雄が河谷医院でビタカンフル、ぶどう糖の応急注射をしてもらつたこと、および治雄を浜本医院に入院加療させたことに対し、昭和三一年二月三日河谷医師に注射代金三百円、同月八日浜本医師に入院治療費金二万二千九百九十円、計金二万三千二百九十円を支払い、(二)、同年一月二四日に行つた治雄の葬儀の費用として、葬儀社へ金一万五千四百円、供養料その他として僧侶へ金七千百円、火葬費用として金四千円、計金二万六千五百円を支払つたのであるが、その頃自己を受取人とする治雄の簡易保険金三万円を受領したから、右(一)、(二)、の合計金四万九千七百九十円の支出より右金三万円を差引いた金一万九千七百九十円が現実の損害として残つており、(三)又原告国雄は東京都中央区築地四丁目九番地所在の店舗で鮮魚の販売を営み一日平均八千円の収益を挙げているが、治雄の事故のため同年一月二一日、同月二三日から二五日までの四日間休業せざるを得なくなり、このため金三万二千円の得べかりし利益を失つたので、以上損害の合計額は金五万一千七百九十円となる。

よつて原告等は被告に対し、原告国雄に対しては右合計金六十万八千六十三円、同比留間久子に対しては右合計金五十五万六千二百七十三円、および各これに対する本訴状送達の翌日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

なお被告の抗弁に対しては、「被告の抗弁事実はすべて否認する。本件事故発生の現場は住宅街の中にあつて車馬の通行が殆どないのだから、幼少の治雄を一人で歩行させていたとしても、原告等に監護者としての過失はない。」と答弁し、

被告指定代理人は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、次のとおり答弁した。

原告等が主張する日時、場所において、治雄が、郵便配達業務のため深川郵便局員沖迫の運転する本件スクーターに衝突され、その主張のような傷害を受けたことが原因となつて死亡したこと、治雄が原告等夫婦の二男であつて昭和二七年一一月一五日生れであること、原告国雄が治雄の葬儀を行つたこと、同原告がその主張するように簡易保険金三万円を受領したことは、いずれもこれを認めるが、同原告が治雄のためどのような出費をしたか、どのような営業によりどれだけの収益を挙げているか、又何日間休業したかはいづれも知らない。その余の原告主張事実は全部否認する。

すなわち、沖迫は原告主張の巾八米の道路のほぼ中央を時速二五粁位で東進し、原告主張の交叉点の約二〇米手前にさしかかつたところ、右交叉点の中央にあるマンホール上に二、三人の青年が立止つてスクーターの方を見ているのを認めたので、直ちにアクセルを離して時速二〇粁位に減速し惰力で進行した。しかし青年達は道路わきに待避したので、沖迫はなおもそのまま進行を続けるうち、右マンホールの手前約八米の地点附近で、六米道路から北に向つて交叉点に入ろうとする治雄を発見した。治雄は本件スクーターが進行して来るのを認め、一旦交叉点に入ろうとして踏出した片足を一歩後方に引き、立止つたので、沖迫は治雄がスクーターの通過するのを待つものと認め、急いで右地点を通過しようとして直ちにアクセルをふかし、時速二五粁位に加速して右マンホールのある地点を通過しようとしたところ、突然治雄が交叉点の中央附近めがけてかけ出して来たため、とつさにブレーキを踏んで急停車の措置をとつたが間に合わず、治雄の左肩あたりに右スクーターを打ち当てるに至つたもので、沖追に何ら運転上の過失はない。又本件スクーターは、昭和二九年一二月末に東京郵政局から深川郵便局に新車として配車されたもので使用期間も短く、ブレーキもこの種のスクーターのいずれもが採用しているものと同種類であつてその性能は優秀完全であり、構造上の欠陥はない。

なお抗弁として、仮に被告が、沖迫又は古賀郵便局長の行為につき、使用者として損害賠償の責に任ずべきものとしても、その賠償額については次のとおり過失相殺を主張する。

すなわち、本件事故現場は電車通りに近く、自動車、スクーター、自転車等諸車の通行が相当に頻繁な十字路であるが、原告両名はそこから僅か二〇米と離れていない六米道路に面する家屋に居住しているのであつて、そのような場所で僅か三才二月にしかならない幼児である治雄を単独で外出させるときは、通行する諸車により被害を受ける危険が極めて大きいのであるから、親権者である原告等は、治雄を一人で外出させることのないように充分の注意を払うべきであつたのに、これを怠つたことが本件事故発生の大きな原因となつている。このことは原告等自身の請求する慰藉料の額算定について斟酌されなければならない。更に、治雄の死亡により原告両名が相続したという損害賠償債権についても、元来それは被害者である治雄自身の債権ではあるけれども、これを相続した結果事実上その利益が帰属する者は原告両名に外ならないのであるから、本件のように被害者が責任無能力者であり、その親権者でかつ監督義務者である原告両名に過失があるような場合には、公平の理念にもとずく過失相殺制度の精神から、「被害者側」に過失があるものとして、やはりその賠償額の算定についてはこれを斟酌すべきものである。

証拠〈省略〉

理由

比留間治雄が昭和三一年一月二〇日午後四時五〇分頃東京都江東区深川永代二丁目三八番地先道路上で、沖迫照幸の運転するスクーターに衝突され、左側頭蓋骨々折の傷害を受け、これが直接の原因となつて同月二三日午後〇時二五分死亡したことは、当事者間に争いがない。

そこでまず、右衝突事故が沖迫の過失によつて生じたものであるかどうかを判断する。証人沖迫照幸、同小池武、同諸田豊の各証言、および検証の結果を綜合すると次の事実を認めることができる。

本件事故現場は、東西に走る巾八米の道路と、南北に走る巾六米の道路とが交叉する十字路であつて、事故発生当時には、右交叉点中央附近にあるマンホールのあたりに大人が二、三人立つていた。沖迫は本件スクーターを運転し、右八米道路を西から東に向つて時速三〇粁位で進行して来たが、交叉点上に右人影を認めたので、交叉点の二十米位手前からアクセルを離し時速二五粁位に減速して惰力で進行を続けた。すると大人達がすぐに交叉点の北側の道路端へよけたので、沖迫は警笛をならさないで進行し、交叉点の九米位手前に迫つたが、その時、六米道路を南から北へ向つて交叉点にさしかかり一旦立止つてから八米道路を横断しようとして本件スクーターの方を見ている治雄の姿を認めた。しかし治雄が一歩踏み出した右足をまた引込めるような素振を示したので、沖迫は、治雄が横断を思い止まつたものと思い込み、警笛もならさずにアクセルをふかして速力を増し、再び時速三〇粁位を出して交叉点にさしかかつたところ、突然治雄が交叉点中央附近に飛び出して来たため、沖迫がブレーキを踏むのとほとんど同時に、スクーターが勢よく治雄に衝突したものである。

右認定を覆えすに足りる信用すべき証拠はない。そうだとすると、沖迫は、八米道路を横断しようとしている幼児治雄の姿をすぐ近くに認めたのであるから、治雄が果して本当に横断を思い止まつたものかどうかを同人の素振だけで判断してしまうことなく、警笛をならして注意を促すとか、更に減速していつでも危険を防止するため臨機の措置がとられるような方法で運転を継続すべきであつたのにかかわらずこの注意義務を怠り、警笛もならさずに増速して交叉点に入つたことはあまりにも軽卒であつて、本件事故はこの沖迫の運転上の過失によつて生じたものと言わなければならない。そして右事故は、被告の被傭者である深川郵便局員沖迫が、被告の事業である郵便配達業務の執行中に生じたものである(このことは当事者間に争いがない。)から、右事故によつて生じた損害については、被告がこれを賠償する責任がある。

そこで右事故によつて生じた損害につき、順次判断する。

一、原告等は、まず治雄自身の蒙つた損害として、治雄は死亡当時三才二月の男子で、もし本件事故がなかつたなら、成年に達してから平均余命の六一・一七才に至るまでの四一年間、毎年平均六万円の純収入があることが明白であるから、右事故のため四一年間の総収入から中間利息を控除して算出した金七十一万二千五百四十六円の得べかりし利益を失つた、と主張している。そして治雄が死亡当時三才二月の男子であつたことは当事者間に争いがなく、厚生省発表の第九回生命表によればその平均余命が六一・一七年であることも明らかであるけれども、治雄が成年に達した後に毎年平均六万円の純収入があるということについては何ら証拠がないから、これを前提として治雄自身に財産上の損害があつたとする原告等の主張は理由がない。したがつて、原告等の本訴請求のうち、治雄自身の損害賠償債権を原告両名が平等に相続したとして各金三十五万六千二百七十三円の支払を求める部分は、その余の判断をまつまでもなく失当である。

二、次に、原若両名がその二男治雄の父母であることは当事者間に争いがなく、本件事故によつて愛児を失つたことにより甚しい精神上の苦痛を受けたことは、容易に推認しうるところであるから、被告はその苦痛に対する慰藉料を原告両名に支払う義務がある。ところで被告は、本件事故発生の原因の一つとして、原告等にも交通頻繁な道路に幼児を単独で外出させたことの過失があるのだから、慰藉料の額を定めるについてはこのこと斟酌すべきである、と主張する。けれども証人小池武、同纐纈要次の各証言、検証の結果ならびに原告国雄の本人尋問の結果によると、本件事故現場の北方約一五〇米附近には、前記八米道路に平行して永代橋方面から深川不動方面に通じる電車通りがあるが、事故現場で交叉する八米道路と六米道路は、いずれもいわゆる裏通りにあたるため自動車等諸車の交通は閑散で、附近の子供達も日頃道路で遊ぶことが多いこと、右交叉点は原告等居宅から三〇米位距つているに過ぎないこと、原告両名方では(当時原告久子が妊娠中であつたため、同居の治雄の祖母や、親戚のおばさんに来てもらつて治雄を監督してもらい、電車通りや、交通のはげしいところには治雄を一人で行かせないよう特に言いつけていたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はないから、これ等の事実を綜合すると、本件事故発生当時、たとい治雄が一人で交叉点附近へ出ていたとしても、原告等は父母として監督上の注意義務を怠つていたと言うことはできない。したがつて、被告の過失相殺の主張は理由がない。よつて慰藉料の額は、諸般の事情を考慮して、原告両名につき各金二十万円ずつをもつて相当とする。

三、(一)、次に原告国雄自身の出費であるが、証人浜本定夫の証言により真正にできたものと認める甲第五、六号証、原告国雄の本人尋問の結果により真正にできたものと認める甲第四、第七号証、および浜本証人の証言、ならびに原告本人尋問の結果によると、本件事故後、治雄が東京都江東区深川永代二丁目五八番地河合医院において、ビタカンフル、ぶどう糖の注射をしてもらつたことに対し、昭和三一年二月三日同医院に金三百円、又治雄が同区深川永代一丁目八番地浜本医院に入院加療を受けたことに対し、同月八日同医院に金二万二千九百九十円を、更に同年二月二四日に行つた治雄の葬儀について、同月二六日神谷葬儀社へ火葬料を含めて金一万五千四百円を、又その頃供養料その他として僧侶へ金七千百円を、いずれも原告国雄が支払つていることが認められ、この認定に反する証拠はない。そこで、右合計金四万五千七百九十円が本件事故のため支出を余儀なくされた金額であるが、同原告は、自己を受取人とする治雄の簡易保険金三万円をその頃受領している(このことは当事者間に争いがない。)ので、現実に蒙つた損害額は、この三万円を差引いた金一万五千七百九十円である。(二)、又、原告国雄の本人尋問の結果によると、同原告は東京都中央区築地の場外市場で鮮魚商を営み、少くとも原告等主張のように一日平均八千円の収益は確実に挙げており、治雄の事故のため昭和三一年一月二一日と、同月二三日から二五日までの計四日間は休業したことが認められ、この認定に反する証拠はないから、同原告が本件事故のため金三万二千円の得べかりし利益を失つたことは明らかである。したがつて同原告の蒙つた財産上の損害は、右(一)、(二)、の合計金四万七千七百九十円ということになる。

以上の次第であるから、原告等の本訴請求は、被告に対し、原告国雄が慰藉料金二十万円と、右財産上の損害額金四万七千七百九十円の合計金二十四万七千七百九十円、同久子が慰藉料金二十万円、および各これに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三一年三月四日(このことは本件記録上明らかである。)から右支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限りにおいて理由がありこれを認容すべきであるが、その余の請求は理由がないからこれを棄却すべきものとする。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石橋三二 吉田武夫 石田穰一)

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